2015年
4月
07日
火
長いドイツからの旅を終え、3週間ぶりに日本へ帰ってきた。
帰って早々に、型や枠に収まらない少しだけ変わった生き方を選択した、とても大切な友人たちに立て続けに会う機会が与えられた。
それはまるで、ドイツで得た成果の報告をさせられたような気分だった。
東北で新しい価値観のコミュニティづくりにまい進する友人、信仰の深い山奥の集落で伝統の文化を今に甦らせている友人、
そして、夫婦ふたりで静かに祈りを捧げながら農民をし、絵地図を描きながら暮らしている友人…。
農民であり絵描きでもある彼女は、私がドイツへ旅立つ直前、とても美しく印象的な言葉をくれた。
「自分の内の世界や、目に見えない世界と走る日々や、コミュニティのことや、をぐるっとひとまわり過ぎて、今がある感じで。
今はようやく普通の日々の中、夫婦ふたりで静かに祈りながら農民をして、絵地図を描きながら暮らしている。
なんかこう、そういったことが静かに深まっていくにつれ、口が人に話すことができなくなってきた…。
うまく話せなくなって初めて、社会には、何も話さないけれど、静かに祈りながら暮らしている人は、すごくたくさんいるのかもしれないって思えるようになった。」
森や木の実や鹿や、イルカや星や虫たちが、自然に呼吸するように集い描かれる彼女の絵には、優しく支えあい完璧に循環していくこの世界の本当の姿を、一目見て実感させてくれる聖なる力が宿っている。
「話す人によるけど、あなたなら口下手な私でも、少しくらい話せるかもしれない。」
そう言ってくれた彼女と、早々にその機会がやってきたことは、私にとってとても意味のあることだった。
私たちは何かをその手で生み出す者として、それぞれ独特な世界観を持っている。
けれどそれは決して独立した閉ざされた世界ではない。
長い間感じ続けていたことだけれど、すべての人、すべてのもの、目に見えるものも見えないものも、本当の始まりにはたったひとつだったのだということ。
私たちはどこかとても深いところで、今でもちゃんと繋がりあっているのだと。
「すべての宗教は、結局みんな同じことを言っているのだと思うのだけれど、どうしてこんなに違う表現で、そのためにぶつかりあってしまうのだろう。」
私が出会った敬虔なクリスチャンであるドイツ人の友人の、クリスチャンであるが故の苦悩の話を聞いた時、彼女はそっと無垢な疑問を口にだした。
大陸であることとか、島国であることとか。
地震があること、ないこと、太陽の光の違いや、水質の違いや、季節の違い。
育んだ神話や、たどった歴史もかけ離れている。
環境によって形作られたそれぞれの遺伝子、そもそもそれが、世界を受け止める感覚器官に差を与えていること…。
私が体感したドイツの陽の光。
きめ細かい光の粒子が、柔らかな雲を透過して、地上に梯子をかけている。
どこまでもひろがる青いなだらかな丘に、まだらに模様を編むその光を受ければ、キリスト教の宗教画に描かれる「昇天」の情景を実感するのは自然なことだった。
そうしてまた、鈍色の重く垂れこめた曇り空を抜けて日本へ降り立った時、海沿いの空港から眺めた遥か水平線の向こうに「ニライカナイ」や「黄泉の国」を観ることもまた、自然なことだった。
私たちはすべてと繋がっているけれど、すべてと同化したままでは「私」にはなれない。
そこで私は「私」になるために、この手に持てるくらいちょっとした、いくつかの個性を選んで来たのだと思う。
そうしてその選んだ個性は、私と彼女ではちょっとだけ違うのだ。
「地球というか大地というか、私たちが普段踏みつけているこの地面そのものの呼吸を、いつだか感じた瞬間があった。
ゆっくりととても大きなリズムで、吸って、吐いて…。
吸うときには、「もののけ姫」のシシ神の歩みみたいに、すごい勢いで草花や命がもわっと生えいずるし、吐くときには萌えていた命が一瞬で枯れ死ぬし。」
私はそれを聞いて、彼女との感性の違いに嬉しくなる。
この星の呼吸に同調できる人がどれほどいるかはわからないけれど、少なくとも私にはそんな体験はない。
「地球の呼吸を感じていたとき、そのうえで私たちが踊ろうが跳ねようが踏みつけようが、地球は全く動じずにただただ、そのゆっくりと大きなリズムで呼吸しているだけだった。」
そうなんだ…。気にしてないんだ、面白い。
星の呼吸と合わせられる彼女の絵が、「森や木の実や鹿や、イルカや星や虫たちが、自然に呼吸するように集い描かれる」のも当然だ。
私は地面にはあまり感度が良くないようで、光が雲を照らしながら降り注ぐときに、自分も光の粒子でできていてキラキラと輝きながら空間に広がってゆく感覚を覚える。
そんな私が、作品にしばしば半透明なロウやガラスの器を使いたがる理由も、思いがけずこのとき同時に分かってしまったのだった。
そしてもうひとつ。
彼女が「もののけ姫」ならば、光に誘われて天に昇りそうになる私はやはり、「かぐや姫の物語」なのである。(冗談ではなく、観た後に一週間涙が止まらなかった!)
星と呼吸する彼女の個性と、光の粒子になる私の個性。
違うからこそ私は彼女を通して星の呼吸にもなれるし、彼女も私を通して光の粒子になれる。
小さな私の手に持てるものは少ないかもしれないけれど、誰かと手をつなげばそれは瞬く間にたくさんになる。
そうしていけば私たちは誰でも、自分という大切な個性を持ったまま、すぐにすべてと繋がれるのだ。
最後に…。
それぞれ選んだ大切な個性に目印があることを、私はこっそり気づいてしまった。
星とともに呼吸をし、静かに祈りながら絵地図を描くその農民は、名前に美しい星を持っている。
光と闇に引き寄せられ、儚い半透明の箱庭をガラス瓶の中に作る作家は、名前に月の異名を持っているのだった。
2015年
3月
06日
金
Spangle Call Lilli Lineというミュージシャンがいる。
とても感覚的な、不思議な名前で、初めはなかなか覚えられなかった。
私が東京でデザイナーをしていた頃、TOWER LECORDでたまたま購入したアルバムが「Or」。
割と初期の作品で、アルバムを通して居心地の良い浮遊感がただよう、お気に入りのアルバムだった。
「Ice track」という曲を聞くと、今でも、深夜に通るレインボーブリッジの光の洪水を思い出す。
終電をとっくに逃し、タクシーに乗り込む帰り道。
当時は葛西に住んでいたので、ルートは決まってレインボーブリッジだったのだ。
午前をとっくに過ぎている。シェアメイトを起こさないよう、そっとアパートの扉を開ける。
当時の私のささやかな楽しみは、夜があけるまでのこの数時間。
共用の広めのキッチンのかべに、大きな紙を貼って、この曲をヘッドフォンで聞きながら、無心に手の動くままに描く。
何も考えないで、手が勝手に動くのを、待つということ。
動きだしたらそれを邪魔しないよう、息を殺して、見守るということ。
線が生き物のようにうごめいて、カタチになって、イロになって、紙のうえにとどまるのを、最初から最後まで私は、物影からそれをそっと隠れて見るような気持ちで。
日ごろ溜め込んだ行き場のない感情は、ここぞとばかりにつぎつぎと、線やカタチやイロになって生まれ変わってくる。
誰にも止めることのできない、意志をもった生命のような行為だった。
「うむ」という、この言葉は、一見意志を持って行なうようにも聞こえるけれど。
「うまれる」という、生まれてくるものにはまるでコントロールできない言葉と共に。
本当は、生む方も生まれる方も、全く成すすべなんてなく、ただただ受け身なんじゃないかと思う。
生命も、「うまれてくる」もの。
作品も、「うまれてくる」もの。
こうしたいとかああしたいとか、「生む」ことができると思うのはきっと、本物じゃない。
生成する、その成ってゆくというそのものにしか、意志なんてないんじゃないか。
カタチづくったものや、カタチづくられたものは、きっと気付いたらそうなっていただけで。
生成するというこの動詞の中にこそ、生命の本質が宿っている、そんな気がしてならない。
Spangle Call Lilli Lineのこの初期の作品の中には、私のあの時の気づきとともに、生成する意志が成した「生まれてきた」ものの輝きが宿っている。
だから私が制作に行き詰まったときは、最初に「生まれてきたもの」の輝きを確かめるのだ。
夜の海の虹の橋を通り、光の洪水の中を駆け抜け、息をひそめてそっと待つ私の右手にやっとたどりついた、名前のないなにものかの輝きを。
2015年
3月
05日
木
天気のよい青空には、ときにキラキラと光る粒のようなものが見える。
あるときふと思いついたことことがあった。
半透明のものには、浮遊する魂や気のようなものが入りやすい。
家のカタチをした、透明のガラスを見ていてふと、ああ、ここには何かが宿りやすいけれど、あまりにも透明すぎてとどまることができない。
透明すぎると、魂はとどまることができず、通過してしまう。
不透明すぎても、魂は入ることができない。
半透明であれば、入ることもとどまることもできる。
それはまるで光のような存在だなあ、と。
古代の日本では「霊」のことを「ひ」と読んでいた。
霊という漢字は中国から伝えられたもので、中国では生命を育むものとして「水、雨」が大切にされてきた。
気候も自然環境も違う日本では、大切なのは太陽の光。命を育み力を与えるものは、日であり光であったから。
だから日本語で「ひと」という語源には、命の力を与えるひかりがとどまるもの、という意味があるそうだ。
ならばひとは、本来半透明な存在なのではないかと思った。
私の住んでいる岐阜県では遙か昔からの言い伝えで、静かに凪いだ池を囲んでみんなで瞑想をする「日抱きの御魂鎮め」という風習があった。
凪いだ水面には太陽の光が映り、それをみんなで抱くようにして、自分のなかの光を見つめるのだという。
「みたましずめ」とは、魂はときに体から離れ、フワフワと抜けていってしまうものなので、それを静め、とどまらせる。
静かに心を落ち着けていると、やがて神通の境地になり、遠くのものごとや未来を見透すこともできたそうだ。
何も考えず、心を水面のようにして、ただ目の前の世界をそれそのものとして映す。
そうしていると、そこには、ふと、ただよう魂のようなもの、キラキラした光のようなものがすうっと入っていく。
日本では、八百万の神という名前の、命があろうがなかろうが、存在するすべてのものに宿る神さまが、光のように、その半透明になったひとにふと入ってくる。少しの間とどまって、必要なことを伝えたら、またふと去っていく。
そうしてひとは世界とつながっていたのではないかと思う。
そんなことを考えるようになってから、私は、ふと青空を見上げたとき、キラキラした光がみえたら、できるだけ半透明な自分を想像して、そうでありたいと、願うようになった。
2015年
3月
01日
日
約20年前の話。
旦那さんが中学生のころ、理科の授業でこんなクイズが出たそうな。
「この世界のほとんどは原子が集まってできています。でもあるものだけは何でできているか分かっていません。それは何でしょう?」
※うろ覚えであることかつ、20年前の情報なのであしからず
数人の生徒の答え「火!」「光!」
先生「はい、正解!!」
旦那さんが心の中でつぶやいた答えは「ひと」…。手を挙げなくてよかった(笑)
この話を聞いてふと、昔読んだ興味深い本の一節を思い出した。
ー古い日本語では霊は「ひ」と読んでいた。
「ひ音のひびきは、ひかりの波動と大気流との共振現象における生の揺籃の光景を呼び起こす。『ひ』には古来『霊』という漢字があてられ、活力のもととなる不思議な力、原始的な霊格のひとつ『神』と考えられてきた。神を招来するための『ひもろぎ』の『ひ』や、万物を生みなす不思議な霊力である『むすひ(産霊)』の『ひ』が、その『霊』の音象であるというのは、そのためだ。これは、太陽神の信仰によって成立した観念で、『ひ』は『日』、もとは太陽だといえる。太陽の神秘的な力を授かった子どもを祈念して、男子は『ひこ(彦)』と名付け、女子は『ひめ(姫)』とよばれてきた。
そのような意味で、ひ音は、神話的な表現をすれば、天の神々の霊的な力、そのひかりと息吹(声)のひびき、その共振・共鳴の音象だといえる。」
*向井周太郎、「息吹き・風ー『はひふへほ』の風景」より抜粋
「ひ」は「火」で「日(光)」で「霊」…。
ある説には、霊(ひ)がとどまるという意味で「ひと」という。
あれ、なんだか全部おなじに思えてきたのは私だけだろうか?
なにでできているかわかっていないもの、「ひ」。
ひびき、ひかり、ひらめき、ひらき…ひらひら、ぴかぴか、ひたひた、ひそひそ。
波動と大気流の共振現象、万物を生みなす不思議な霊力。
日であり火であり、光であり、霊である、「ひ」がひとつの場所にとどまると「ひと」になる。
なにでできているかわかっていないものは、何?
旦那さんの答えも、まんざら間違っていないような気がしてきた。
2015年
3月
01日
日
出会ってひと月も経たないのに、ずっと前から知っていたかのような親しみのある人と、ランチへ行った。
彼女の指定のお店は友人がやっているという菜食カフェ、「ブルー藍」。
一見ぶっきらぼうだけど、快活で気さくな女主人が作る手作りのビュッフェ料理はどれも絶品でヘルシー、常連のお客さんが次々と入れ替わり立ち代りする繁盛店だった。
大きなテーブルを他のお客さんと囲み、ちょっと落ち着かないなあとソワソワしながら待つ間。
まだ青いつぼみを真っ直ぐにピシャンと伸ばした、少し変わったチューリップの鉢植えを眺めていた。
待ち人来る。
まだ出会って15日ほどの、自宅で小中学生を対象に塾をしているというその人は、Sさんという。
生き生きとしていて若く見えるけれど、確実に人生の大先輩である。
何となく面白そうな人だなあ、というのがお互いの第一印象なのだと思う。
お互いのことを話すうちに、すっかり意気投合したのだった。
彼女は興味深いことに、ご縁のあるモノや人が金色に光って見えたことが3回あるという。
まだ10代の時に出会った男子学生は、一目見て光っていた。今のご主人である。
引っ越しを考えていた時に出会った中古物件も光っていた。雨漏りしたけど。
尊敬できる師も光っていた。この人は本物だという確信を持ったという。
なんだこの人スゴイ。
私も直感で生きている人間だけど、何かが光ったことなんて……あれ、そういえば一度だけあったかも。
学生時代に出会った、塾の先生のなかに一人だけ光っていた人がいた。
その人とはやっぱり仲良くなって、大大大親友として人生の苦悩や痛み、喜びや迸るような輝きも、ひと言では表せないほどのものをたくさん共有した。
今わたしが美術作家になったのは、木工作家だったこの人の背中を間近で見せてもらった、短くも凝縮されたこの期間があったからだ。
その人とは、彼女に連れ添う人が現れた時に別れが訪れた。
ご縁とはそういうものだと思う。
興味深い経験をされているSさん。
Sさんのこれまでの人生で得た貴重な気づきや、体育教師をされているというご主人の立派な人柄による逸話など、うならない場面はないというほどうならされた。
光ってたけど雨漏りした中古住宅も、20年の歳月を経て「やっぱりこの家だったからこんなことが起こったんだ!」というミラクルな後日談もあった。
また逆に、私が日頃確信を持っているけれども人にはなかなか話せないようなちょっとアレな話なんかも、ものすごく真剣に聞いてくださった。
(アレな話と言っても、ものづくりをしている人間なら誰もが感じていること、例えば、「自分が作品を作ってるんじゃない、何かに作らされているんだ」みたいなこと)
話は尽きず、結局カフェ「ブルー藍」には日が落ちるまで居座った。
青空から夜空まで、まさにブルー藍な一日。
Sさんはランチをさりげなくおごってくれてさらに、
「私はあなたに恩を受けたことがあるみたい。それをいま返したまで。気持ちよく受けてね。」と。
ずっと前から知っていたかのような不思議な親しみはあったけれど。
はっきりと覚えていないいつかの恩まで返そうとしてくれる、この心の誠実さを何といえば良いのだろう。
胸にジンと来るものがあった。
恩を返すということ。
自分が困っている時に人から手を差し伸べてもらったら、今度はその人が困った時に手を差し伸べること。
恩を返されるということ。
自分が手を差し伸べた時、その人が助かったよと笑顔を見せること。
「ありがとう」と言ってもらえること。
恩を後でわざわざ返されるまでもなく、困っていた人が笑顔を見せた今この瞬間に、すでに恩なんて返されているのではないだろうか?
笑顔と「ありがとう」が返ってきたこの瞬間に、自分はすでに幸せになっていないだろうか?
そもそも恩とは、助けられた人が恩を感じたその一瞬にして、すでに返済されているものなんじゃないだろうか。
そうだとすれば、恩をいつまでも大切に感じているその人の心にこそ、手助けするという行いよりもさらに美しく尊いものが、そっとひそんでいる。
丘の上のブルー藍をあとにして。
帰路に就く私の心にふと、あの青くかたいつぼみを戴いた、窓辺の真っ直ぐなチューリップが浮かんでいた。
2015年
2月
27日
金
午前中、岩手で復興支援を含めた社会活動をしている、尊敬する友人2人と、スカイプで話した。
塩害のあった地域に塩を吸収してくれる菜の花を植えて、かつその菜種油を商品として売ることでさらなる支援につなげる。
菜の花畑には「ノアの箱船」と名付けられたエコハウスも建っている。
彼らは未来を見据えていて、しかし今を疎かにせず、次々と目の前にやってくることに感性を使いながら、真剣に向き合っている。
コミュニティを作りたいという友人が、私の周りには多い。
約10年前の2006年、社会人1年生の私は、ようやっと入れた東京のデザイン事務所で毎日必死になって生きていた。
中学時代からの良きライバルである友人は、当時パーマカルチャーを学び、石油が後何年もつか分からない、今のような持続できない社会の在り方を変えなければならない、と力説していた。
彼女は今、山麓で夫と子を持ち美術教師をして暮らしている。夫は畑で食べ物を作っている。
「旦那は無職に限る」ー忘れられない彼女の名言だ。
今の私はこの友人に影響を受けたところも大きい。
大学時代の先輩は、絵を描きながら農業に従事している。
仲間と共に農園を立ち上げ、自然農で栽培している。
知人のミュージシャンも、高齢で作業が出来なくなった農家の田畑を借り受け、仲間を募って農園を始めた。
ここの畑は波紋のカタチをしている。これが思いのほか美しいのだ。
彼らはみな、コミュニティを作りたいと言う。
そこだけが持続可能なだけではない、開かれた、学びの場としてのコミュニティ。
生きるちからを取り戻す場所。
生きるちから。
私たちは果たして、そんなものを持っているのだろうか。
2006年の私は、友人の言うことを面白いとは思ったが本気にはしていなかった。
石油がもしなくなってしまっても、代わりになるものを人類はどこからか生みだすのだろう、そう思っていた。
社会の在り方や、エネルギーの今後を考えるのは専門家の仕事であって、私には関係がない。そんなことよりも、自分の能力やセンスを活かしていかにより良い広告デザインが生みだせるか、社会にインパクトを与えられるか。
グラフィックデザイナーとしての肩書きを、誇りにも思っていたし、自分の感性を信じてもいた。
心とからだはつながっているか。心が先か、からだが先か。
働き始めて半年、新米デザイナーの仕事といえば、資料探し、資料づくり。カンプの作成、写真の合成、撮影の機材運び。
何が1番苦痛だったかというと、お腹が空いても食べられない。眠くても寝られない。休みたいのに休めない。
みんなそれなりに我慢しながら、仕事の状況に合わせてやれていることが、体力のない自分にはどうしてもできない…。
どうしてみんな、食べたい時に食べなくても、寝たい時に寝なくても、疲れた時に休まなくても、働けるのだろうか。
自分の方がきっとおかしいのだ…。
心とからだは同時に不調になっていき、同時に限界を迎えた。
メンタルクリニックで処方された薬を飲んだ時、わずかに、私の中のなにかがするどく悲鳴をあげて抵抗した。
それもつかの間、薬の効果があらわれ、抵抗も、空腹も、眠気も、疲れも、自己嫌悪も。全てが雨散霧消していった。
思い出せそうで思い出せない、始終ぼんやりとした空っぽの状態で、仕事は前よりもこなせるようになった。
薬を飲み忘れると、違和感が芽生える。違和感を消すために、薬を飲む。
私のなかみは空っぽになった。
しばらくした後、休みをとって帰省した私の空っぽの目に、道ばたの小さな枯草が映った。
それは実家へつづく見慣れた道ばた、いつもそこにあったけれど全く気付かなかったもの。
あまりにも違和感なく生えているこの枯草と比べて、薬を飲まなければ自らの存在の違和感を消すことも出来ない自分。
どうしてこんなに不自然な存在になってしまったのだろう。
お腹が減ったらご飯をおいしく食べる、眠くなったらぐっすり眠る、疲れたら休んで自分をいたわる。
この当たり前のことができなくなった時、こんなに不自然な存在になってしまったのだと気付いた。
仕事を辞めて、実家に戻り、しばらく無為な時間を過すうち、なにかを作りたいという衝動が湧いてきた。
なにか表現がしたい。自分の五感や感性を通して捉え直したこの世界のことを、なにかのカタチで表現がしたい。
芽生えては咲き実り、枯れて朽ちて次の種になる、道ばたの草にひそむ美しさ。
自分以外のほかのものになんてなろうとはしないその姿に、生きる本質を観たような気がした。
こんな大切なことを感じとれた自分の感性を、再び信じることができるようになった。
生きるちからが湧いてきたと思った。
生きるちからとは、土から食べ物を生みだす技術のことではなく、日々の暮らしを支える能力でもなく、自分を信じるちから。
自分が感じた違和感に耳をかたむけ、自分の心やからだのことばに向き合い、そうすることができるのだという自信を持つこと。
生きるちからとは自分を信じるちから。
私は心からそう思う。
岩手の友人とコミュニティについて語り合っていた時、最近気にかかっていた佐治晴夫さんのことばを引用した。
「人に希望を語ることが、生きている人間の役目だと気付いたのです。」
何気なく口にしたことばだったけれど、今ならこう思う。
「人に希望を語れる人間は、きっと自分自身を信じている人だろう、でなければ、人に希望など語れない。」
みんなが持てる能力を持ち寄り、お互いを尊重しあい、資源や環境に感謝をし、持続可能であることはいうまでもなく。
これからのコミュニティに本当に必要なことは、それぞれみんなが自分自身を信じていること。
自分の感性を、直感を、能力を信じれば、自分はどんなことがやりたくて生まれてきたのかが、自然と思い出せるのだ。
天国の春のような菜の花畑のそばに控えた「ノアの箱船」。
そこで構想を得た「生きるちからを取り戻せるコミュニティづくり」に、俄然興味が湧いてきた。
2015年
2月
23日
月
「“これまで”が”これから”を決めるのではなく、”これから”が”これまで”を決める。」
あるインタビュー記事にこのことばが書かれていました。
このことば、とても気になる。
それは物理学者、佐治晴夫さんのことば。
「人に希望を語ることが、生きている人間の役目だと気づいた」
この一説を目にした途端、なぜかのどがきゅっとなって、涙が出そうになった。
自分でもよく分からない。
「人間が生きる意味は、人に希望を与えること、希望を語ることなんだ、と。それは生きている人にしかできないことなんだと気づいたのです。」
「生きるって、悪いものじゃないよ。しかも、そのすばらしさは生きてみないとわからない。」
80歳になる佐治さんが、若い人へ向けて、語りかけることば。
たかだか30年ちょっと生きた私が、どうしてこのような気持ちになるのか全くわからないけれど。
地道に足元を見て、そこにある美しさに気付いて、一歩一歩の辛さに喜び、道のりの険しさに感謝し、背負った荷物の重みを味わいながら、生きている素晴らしさを噛みしめる。
自分に与えられた限りのある小さな命を、味わい尽くして生きること。
「かぐや姫の物語」を観たあと一週間、涙があふれてとまらなかった。
まるで、悔いを残した魂が浄化されたみたいな、不思議な出来事でした。
ガラス瓶に小さな世界を作る。名もない枯草の美しさで世界が出来上がっている。
命を全うすること。その美しさ。生きているものの大切な役割。
そんなことを感じた一日でした。