長いドイツからの旅を終え、3週間ぶりに日本へ帰ってきた。
帰って早々に、型や枠に収まらない少しだけ変わった生き方を選択した、とても大切な友人たちに立て続けに会う機会が与えられた。
それはまるで、ドイツで得た成果の報告をさせられたような気分だった。
東北で新しい価値観のコミュニティづくりにまい進する友人、信仰の深い山奥の集落で伝統の文化を今に甦らせている友人、
そして、夫婦ふたりで静かに祈りを捧げながら農民をし、絵地図を描きながら暮らしている友人…。
農民であり絵描きでもある彼女は、私がドイツへ旅立つ直前、とても美しく印象的な言葉をくれた。
「自分の内の世界や、目に見えない世界と走る日々や、コミュニティのことや、をぐるっとひとまわり過ぎて、今がある感じで。
今はようやく普通の日々の中、夫婦ふたりで静かに祈りながら農民をして、絵地図を描きながら暮らしている。
なんかこう、そういったことが静かに深まっていくにつれ、口が人に話すことができなくなってきた…。
うまく話せなくなって初めて、社会には、何も話さないけれど、静かに祈りながら暮らしている人は、すごくたくさんいるのかもしれないって思えるようになった。」
森や木の実や鹿や、イルカや星や虫たちが、自然に呼吸するように集い描かれる彼女の絵には、優しく支えあい完璧に循環していくこの世界の本当の姿を、一目見て実感させてくれる聖なる力が宿っている。
「話す人によるけど、あなたなら口下手な私でも、少しくらい話せるかもしれない。」
そう言ってくれた彼女と、早々にその機会がやってきたことは、私にとってとても意味のあることだった。
私たちは何かをその手で生み出す者として、それぞれ独特な世界観を持っている。
けれどそれは決して独立した閉ざされた世界ではない。
長い間感じ続けていたことだけれど、すべての人、すべてのもの、目に見えるものも見えないものも、本当の始まりにはたったひとつだったのだということ。
私たちはどこかとても深いところで、今でもちゃんと繋がりあっているのだと。
「すべての宗教は、結局みんな同じことを言っているのだと思うのだけれど、どうしてこんなに違う表現で、そのためにぶつかりあってしまうのだろう。」
私が出会った敬虔なクリスチャンであるドイツ人の友人の、クリスチャンであるが故の苦悩の話を聞いた時、彼女はそっと無垢な疑問を口にだした。
大陸であることとか、島国であることとか。
地震があること、ないこと、太陽の光の違いや、水質の違いや、季節の違い。
育んだ神話や、たどった歴史もかけ離れている。
環境によって形作られたそれぞれの遺伝子、そもそもそれが、世界を受け止める感覚器官に差を与えていること…。
私が体感したドイツの陽の光。
きめ細かい光の粒子が、柔らかな雲を透過して、地上に梯子をかけている。
どこまでもひろがる青いなだらかな丘に、まだらに模様を編むその光を受ければ、キリスト教の宗教画に描かれる「昇天」の情景を実感するのは自然なことだった。
そうしてまた、鈍色の重く垂れこめた曇り空を抜けて日本へ降り立った時、海沿いの空港から眺めた遥か水平線の向こうに「ニライカナイ」や「黄泉の国」を観ることもまた、自然なことだった。
私たちはすべてと繋がっているけれど、すべてと同化したままでは「私」にはなれない。
そこで私は「私」になるために、この手に持てるくらいちょっとした、いくつかの個性を選んで来たのだと思う。
そうしてその選んだ個性は、私と彼女ではちょっとだけ違うのだ。
「地球というか大地というか、私たちが普段踏みつけているこの地面そのものの呼吸を、いつだか感じた瞬間があった。
ゆっくりととても大きなリズムで、吸って、吐いて…。
吸うときには、「もののけ姫」のシシ神の歩みみたいに、すごい勢いで草花や命がもわっと生えいずるし、吐くときには萌えていた命が一瞬で枯れ死ぬし。」
私はそれを聞いて、彼女との感性の違いに嬉しくなる。
この星の呼吸に同調できる人がどれほどいるかはわからないけれど、少なくとも私にはそんな体験はない。
「地球の呼吸を感じていたとき、そのうえで私たちが踊ろうが跳ねようが踏みつけようが、地球は全く動じずにただただ、そのゆっくりと大きなリズムで呼吸しているだけだった。」
そうなんだ…。気にしてないんだ、面白い。
星の呼吸と合わせられる彼女の絵が、「森や木の実や鹿や、イルカや星や虫たちが、自然に呼吸するように集い描かれる」のも当然だ。
私は地面にはあまり感度が良くないようで、光が雲を照らしながら降り注ぐときに、自分も光の粒子でできていてキラキラと輝きながら空間に広がってゆく感覚を覚える。
そんな私が、作品にしばしば半透明なロウやガラスの器を使いたがる理由も、思いがけずこのとき同時に分かってしまったのだった。
そしてもうひとつ。
彼女が「もののけ姫」ならば、光に誘われて天に昇りそうになる私はやはり、「かぐや姫の物語」なのである。(冗談ではなく、観た後に一週間涙が止まらなかった!)
星と呼吸する彼女の個性と、光の粒子になる私の個性。
違うからこそ私は彼女を通して星の呼吸にもなれるし、彼女も私を通して光の粒子になれる。
小さな私の手に持てるものは少ないかもしれないけれど、誰かと手をつなげばそれは瞬く間にたくさんになる。
そうしていけば私たちは誰でも、自分という大切な個性を持ったまま、すぐにすべてと繋がれるのだ。
最後に…。
それぞれ選んだ大切な個性に目印があることを、私はこっそり気づいてしまった。
星とともに呼吸をし、静かに祈りながら絵地図を描くその農民は、名前に美しい星を持っている。
光と闇に引き寄せられ、儚い半透明の箱庭をガラス瓶の中に作る作家は、名前に月の異名を持っているのだった。
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